現在、新潟の分業率は68%に達し、全国では第5位である。このように医薬分業が浸透するまでの過去30年を振りかえると、薬剤師に求められる仕事内容も時代とともに変化してきたといえる。どのような社会事情・事件によって国民の意識が変化し、求められる「薬剤師の役割」が変わってきたのか、また医薬分業の進展の背景にどのような政治の意図があったのかを学ぶことは、この経過を実際に体験してきた患者を理解する一助となり、患者の本当のニーズを知ることにつながる。
日本は戦後、幾多の薬害問題が起こった。そして、被害者の声としてこれらの問題は表面化し、薬の乱用、副作用、相互作用に対する問題意識が国民のあいだに徐々に広がってきた。この医療安全を追求する運動のもとに、保険診療に占める医薬品量にも関心が持たれるようになり、使用される医薬品は本当に必要なのかという薬剤費増大の問題にも波及していった。
この背景には昭和36年の国民皆保険制度の導入により、国民が等しく医療の恩恵を受けることができるようになった反面、薬の多剤併用をも招いてきたという事実もある。政府はこのような状況を改善するため、薬剤師による処方のチェックと薬の情報提供によって、医薬品の適正使用、医療費の低減、さらに自己決定できる自立した患者への脱却をはかるべく、医薬分業を推進してきた。つまり、医薬品の安全確保と経済効果の期待が医薬分業のキーワードである。
国民にとって薬剤師が、絶対的に必要な存在として認知されていないという事実を、現場に立って初めて知る。このギャップがマイナス要因となり、積極的に国民に働きかけられ
ない、そのためさらに認められる存在にならないという悪循環となっている。
処方せん発行率からみると順調に医薬分業が進んできたかに見える。しかし、今なお「真 の医薬分業」にはなっていない。今こそ、院外処方のデメリットの「二度手間」「費用高」を超える、「リスクマネージメント」「ファーマシューティカルケア」という結果を薬剤師は国民に示さなくてはならない。国民は薬剤師が費用に見合っただけの職能を果たしているかを注視している。